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| 効率化できる業務 |
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『AIの活用』。この言葉を聞かない日はないほど、ビジネスの世界は生成AIの話題で持ちきりです。多くの企業が「AIを使って何か新しいことをしなければ」と模索する一方で、
- 「何から手をつければいいか分からない」
- 「専門知識を持つエンジニアが社内にいない」
- 「セキュリティリスク(シャドーIT)が怖くて、現場に解放できない」
こうした悩みを抱え、一歩を踏み出せずにいる経営企画部やDX推進部の方も多いのではないでしょうか。
「AIは、一部の専門家だけのものではない」。そう断言し、全社員がAIを使いこなす「AI市民開発」の文化を急速に根付かせているのが、リコーです。
驚くべきことに、リコーでは既に 300種類以上ものAIアプリケーションが、現場の社員たちの手によって生み出されています。その中核を担うのが、ノーコードで生成AIアプリを開発できるプラットフォーム「Dify」です。
本記事では、リコーがなぜ「Dify」を選び、いかにしてこの「AI市民開発」という大きな波を全社に広げていったのか、その具体的なプロセスと活用の裏側、そして試行錯誤の軌跡を徹底的に解説します。自社でAI活用を進めたいすべての担当者にとって、実践的なヒントが詰まっています。
リコーで「AI市民開発」が本格化。その背景にある“切実な危機感”とは?

リコーがこれほどまでにスピーディーにAI市民開発を推進する背景には、強い危機感がありました。
『AIの民主化』が待ったなしの状況だった
リコーのDX推進を担う部門は、生成AIの登場に対し「これはインターネットやスマートフォンに匹敵する、あるいはそれ以上のインパクトを持つ技術革新だ」と直感したといいます。
もし、この変革の波に乗り遅れれば、ビジネスのあらゆる側面で競争力を失いかねない。だからこそ、一部のエンジニアやデータサイエンティストだけがAIを使うのではなく、現場の業務を最もよく知る社員一人ひとりが、自らの手でAIを道具として使いこなし、業務を改善・変革していく必要がありました。
いわゆる「AIの民主化」です。これを実現しない限り、本当の意味でのDXは達成できない。その切実な思いが、リコーのAI市民開発プロジェクトの原動力となったのです。
なぜ「Dify」だったのか?ノーコードとセキュリティの両立
しかし、「さあ、今日から全社員でAIを使いましょう」と言っても、そう簡単にはいきません。現場の社員の多くは、プログラミングの専門家ではないからです。
そこで白羽の矢が立ったのが、ノーコードツールの「Dify」でした。
Difyは、画面上でブロックを組み合わせるような直感的な操作で、高度な生成AIアプリケーションを開発できるプラットフォームです。プログラミング知識がなくても、「こんなAIが欲しい」というアイデアさえあれば、誰でも形にできます。
さらに、リコーがDifyを選定した決定的な理由が「セキュリティとガバナンス」です。
多くの企業が恐れる「シャドーIT」(会社が許可していないツールやサービスを社員が勝手に使うこと)は、生成AIの活用において最大のリスクの一つです。Difyは、自社の厳格なセキュリティポリシーに準拠した形で導入・運用が可能であり、会社として「安全なAI活用の土壌」を公式に提供できる点が評価されました。
「使いやすさ(ノーコード)」と「安全性(ガバナンス)」を両立できるDifyは、リコーにとってまさに理想的な選択肢だったのです。
目指すは“全員がAIを使える”世界観
リコーが目指すのは、単なる業務効率化に留まりません。社員全員がAIを「自分ごと」として捉え、日常業務の中で当たり前にAIアプリを作り、共有し、改善していく。そうした企業文化そのものを作ることこそが、最終的なゴールです。
Difyの導入は、その壮大なビジョンの「第一歩」に過ぎません。
【事例】Difyは社内でどう使われている?具体的なAIアプリ活用法
「ノーコードでAIアプリが作れると言っても、実際どんなものができるの?」 そんな疑問を持つ方も多いでしょう。リコーの社内では、すでに300を超えるユニークなAIアプリがDifyで開発・運用されています。
ここでは、特にペルソナ(経営企画、人事、法務、営業)の業務に直結する、具体的な活用事例をご紹介します。
活用例1:人事部門の『壁打ち相手AI』
人事部門では、新しい人事制度の企画や、社員向けの通達文を作成する際、「これで本当に伝わるだろうか」「もっと良い表現はないか」と悩むことが多々あります。
そこで開発されたのが、人事担当者専用の「壁打ち相手AI」です。
このAIには、リコーの過去の人事制度資料や社内規定、大切にしているバリュー(価値観)などが学習されています。担当者が作成したドラフトをAIに投げかけると、「リコーらしさ」の観点や、「社員のモチベーション向上」の観点から、具体的な改善案や別の表現を瞬時に提案してくれます。
上司や同僚に相談する前の「一次レビュー」をAIが担うことで、企画の質とスピードが劇的に向上しました。
活用例2:法務・知財部門の『契約書レビューAI』
法務や知財部門にとって、膨大な契約書のレビューは時間のかかる業務です。
リコーでは、Difyを使い、一般的な契約書の雛形や、特に注意すべき(リスクのある)条文のパターンを学習させた「契約書レビューAI」を開発しました。
レビューしたい契約書をアップロードすると、AIが不利な条項や欠落している条項、曖昧な表現などを瞬時にハイライトし、修正案を提示します。もちろん最終判断は人間の専門家が行いますが、AIが一次チェックを担うことで、法務担当者はより高度な法的判断に集中できるようになりました。
活用例3:営業部門の『提案資料作成アシスタント』
営業担当者が顧客への提案資料を作成する際、過去の成功事例や関連する製品スペックを探すのに時間がかかっていませんか?
営業部門では、過去の提案書、製品カタログ、成功事例のデータを学習させた「提案資料作成アシスタントAI」が活躍しています。
「〇〇業界向けの、コスト削減に関する提案のたたき台が欲しい」と入力するだけで、AIが最適な資料構成案と、盛り込むべき事例やデータをピックアップしてくれます。これにより、営業担当者は「資料を探す作業」から解放され、顧客の課題を深く考える「本来の営業活動」に時間を使えるようになりました。
現場の反響:「こんなことがやりたかった」
これらのAIアプリは、すべて現場の社員が自ら「こんな業務が大変だ」「こういうAIがあれば助かる」というニーズを基に、Difyを使って開発したものです。
導入後、現場からは「まさに、こんなことがやりたかった」「面倒だった作業が数分で終わるようになった」という喜びの声が多数寄せられています。AIが「やらされ仕事」ではなく、「自分たちの仕事を楽にしてくれるパートナー」として受け入れられた瞬間でした。
リコー流・AI市民開発の進め方:全社展開を成功させた3つのステップ
Difyという優れたツールを導入するだけでは、「AI市民開発」は成功しません。リコーは、ツールを「使ってもらう」ための地道な仕組みづくりとコミュニティ醸成にこそ、最も力を注ぎました。
その全社展開のプロセスは、DX推進担当者にとって非常に参考になるはずです。
Step 1:『デジタル人材』の定義と育成プログラム
まずリコーは、AI市民開発を担う人材を「デジタル人材」と再定義し、その育成プログラムを体系化しました。
重要なのは、全員をプログラマーにすることではありません。 「自らの業務課題を発見し、デジタル技術(AI)を使って解決策を企画・実行できる人材」 これこそがリコーの定義するデジタル人材です。
そのために、専門的なITスキル教育だけでなく、「課題発見能力」や「ロジカルシンキング」といった基礎的なビジネススキルと、AIの基礎知識(何ができて、何ができないか)を組み合わせた研修プログラムを整備しました。
Step 2:小さく始める「Dify勉強会」とコミュニティの力
全社に一斉導入するのではなく、まずは「小さく始める」アプローチを取りました。
DX推進部門がファシリテーターとなり、各部門から希望者を集めた「Dify勉強会」を開催。参加者はそこでDifyの基本的な使い方を学びながら、実際に自分の業務で使いたいAIアプリのプロトタイプを作成します。
この勉強会が、単なる「ツールの使い方研修」で終わらなかった点が重要です。
勉強会をきっかけに、参加者同士が部署を超えて繋がる社内コミュニティ(チャットグループなど)が生まれました。 「こんなAIを作ったんだけど、どう思う?」 「こういう場合、どう設定すればいい?」 といった情報交換が活発に行われ、成功事例やノウハウが人から人へと伝播していったのです。
この「コミュニティの熱量」こそが、AI市民開発をボトムアップで全社に広げる最大の推進力となりました。
Step 3:セキュリティとガバナンス体制の構築
現場の自由度を高める一方で、情シス部門やDX推進部門は「守り」を固めました。
Difyの導入にあたり、リコーの厳格なセキュリティ基準をクリアするための設定(例えば、機密情報が外部のAIモデルに学習されないようにする制御など)を徹底しました。
そして、「この範囲内であれば、現場は自由にAIアプリを開発して良い」という明確なガイドラインを策定。現場が萎縮することなく、かつ会社としてはリスクを管理できる「安全な砂場(サンドボックス)」を提供したのです。
この「攻め(現場の推進)」と「守り(ガバナンス)」の絶妙なバランスこそが、リコー流の成功の鍵と言えるでしょう。
AI市民開発を推進する上での『リアルな壁』と乗り越え方
もちろん、リコーの取り組みも順風満帆だったわけではありません。多くの企業が直面するであろう「リアルな壁」にもぶつかりました。DX推進担当者の皆さんなら、思わず頷いてしまうのではないでしょうか。
壁1:シャドーITのリスクとどう向き合ったか?
Dify導入以前、リコー社内でも、便利さゆえに個人が勝手に外部の生成AIサービスを使ってしまう「シャドーIT」が散見され、セキュリティ部門は頭を悩ませていました。
これに対し、リコーが取った対策は「禁止」ではなく「代替」です。
「ダメだ」と禁止するだけでは、現場はさらに隠れて使うようになります。そうではなく、会社としてDifyという「安全で、かつ便利な公式ツール」を提供することで、シャドーITを使う必要性を根本から無くし、社員を安全な場所へ誘導したのです。
壁2:『自分には関係ない』という現場の無関心
DX推進部門がどれだけ「AIは重要だ」と発信しても、現場からは「忙しいし、難しそう」「それはDX部門の仕事でしょ?」という無関心な反応が返ってくる…。これは「DXあるある」かもしれません。
リコーは、この「無関心の壁」を崩すために、前述の「Dify勉強会」で成功体験を“体感”してもらう戦略を取りました。
研修でDifyに触れた社員が、わずか数時間で「自分の業務が劇的に楽になるAIアプリ」を自作できてしまう。その成功体験が「AIって、自分でも使えるんだ!」という驚きと喜びに変わり、当事者意識が芽生えます。
この「小さな成功体験」を積み重ね、コミュニティで共有することで、「自分もやってみたい」というポジティブな連鎖を生み出していきました。
壁3:費用対効果(ROI)の説明責任
経営層からは当然、「そのDify導入に、どれだけの費用対効果(ROI)があるのか?」と問われます。
しかし、AI市民開発は、その性質上、従来のシステム開発のように明確なROIを事前に算出しにくい側面があります。
リコーのDX推進部門は、無理に「導入後〇〇億円のコスト削減」といった数字を作るのではなく、「AIを活用できる人材(デジタル人材)を育成すること自体が、未来への最大の投資である」というロジックで経営層を説得しました。
そして、導入後はDify勉強会の参加人数や、開発されたAIアプリの数、コミュニティの活性度といった「活動量(KPI)」と、活用事例(例:契約書レビューAIによる工数削減)といった「定性的な成果」をセットで見える化し、地道に成果を報告し続けています。
Dify導入から見えた、AI市民開発を成功させるための鍵
リコーの先進的な事例は、Difyという単一のツールを導入した成功事例ではありません。それは、「AIを全社員の武器にする」という強い意志のもと、企業文化そのものを変革しようとする壮大な取り組みです。
この事例から、私たちが学ぶべき成功の鍵は3つあります。
1. 技術(Dify)よりも『企業文化』が重要
Difyは強力なツールですが、それだけではAI市民開発は進みません。リコーの成功の根底にあるのは、「まず、やってみよう(Try)」「失敗を恐れず、学びを共有しよう(Share)」というチャレンジを奨励する企業文化です。
DX推進部門が主導したコミュニティ運営は、まさにこの文化を醸成するための「装置」として機能しました。
2. 情シス・DX部門が果たすべき『伴走者』としての役割
これからの情シス部門やDX推進部門に求められるのは、システムを「管理・統制」する役割だけではありません。
リコーのDX推進部門のように、現場のすぐ隣に立ち、セキュリティという安全綱を握りながら、「一緒にやってみましょう」「そのアイデア、面白いですね!」と励まし、支援する「伴走者」としての役割が、これまで以上に重要になります。
現場が安心してチャレンジできる環境を作ることこそが、彼らの新しいミッションなのです。
3. リコーが描く「AI×市民開発」の未来図
リコーの挑戦はまだ始まったばかりです。DifyによってAI開発のハードルが下がった今、次に見据えるのは「AIアプリの高度化」と「全社的な標準化」です。
現在は各部署で個別に作られているAIアプリも、今後は優れたものが全社標準のツールとして横展開されていくでしょう。また、Difyの活用を通じてAIリテラシーが向上した社員が、さらに高度なAI活用やデータ分析へとステップアップしていくことも期待されます。
「AI市民開発」は、リコーのビジネスプロセス全体を、根本から変えていく可能性を秘めているのです。
まとめ:リコー事例から学ぶ、AI市民開発の「次の一手」
リコーの「Dify」を活用したAI市民開発の取り組みは、多くの日本企業が抱える「AI活用のジレンマ」に対する、一つの明確な答えを示しています。
- 専門家がいなくてもAIは活用できる(ノーコードツールの活用)
- セキュリティと利便性は両立できる(ガバナンスの効いたプラットフォームの提供)
- 重要なのはツール導入ではなく、文化とコミュニティの醸成である
この記事を読んでいるあなたが、もし自社のDX推進やAI活用に悩んでいるのなら、まずはリコーのように「小さな勉強会」から始めてみてはいかがでしょうか。
現場の社員一人ひとりが持つ「これを何とかしたい」という小さな課題感こそが、あなたの会社の「AI市民開発」をスタートさせる、最も確かな第一歩になるはずです。
