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| 効率化できる業務 |
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「えっ、またここで名前と住所を書くんですか?」
市役所の窓口で、こんな風に思ったことはありませんか? 転入届を出して、住民票を取って、子供の手続きをして……。窓口が変わるたびに同じ書類に、同じ内容を書き続ける。番号札を握りしめて、硬い椅子で何十分も待ち続ける。あの時間、正直言って「しんどい」ですよね。
私たち市民にとってもストレスですが、実は対応する職員の方々にとっても、複雑化する業務は大きな負担になっています。
そんな「当たり前の不便」に、神奈川県海老名市がメスを入れました。 2024年10月1日から始まった、海老名市と株式会社エイジェックによる「生成AIを活用した窓口業務の実証実験」。
これ、単に「タブレットを置きました」という話ではありません。 日本の行政サービスが抱える「人手不足」と「複雑さ」という二重苦を、AIという相棒と共にどう乗り越えるか。その壮大な挑戦の第一歩なんです。
今回は、このニュースの裏側にある意図や、私たち企業のDX担当者がここから学べるヒントについて、少し深掘りしてお話ししてみようと思います。
海老名市×エイジェックが仕掛ける「未来の窓口」とは

2024年10月始動!官民連携の新たな挑戦
まずは、今回のニュースの要点をおさらいしましょう。
神奈川県海老名市は、官公庁などの業務受託(BPO)で実績のある株式会社エイジェックと連携協定を結びました。そして2024年10月1日から、市役所の窓口業務に「生成AI」を導入する実証実験をスタートさせています。
目的は非常にシンプルかつ切実です。 「来庁者の待ち時間短縮」と「職員の業務負担軽減」。
具体的には、窓口に生成AIを搭載したタブレット端末を設置し、市民がその端末と対話することで、必要な手続きの案内を受けたり、申請書の作成をサポートしてもらったりするというものです。
なぜIT企業ではなく「人材会社」なのか?
ここで一つ、面白い点に気づきませんか?
「AIの導入」なら、大手ITベンダーやAIスタートアップと組むのが定石な気がしますよね。でも、海老名市がパートナーに選んだのは、人材総合サービス企業のエイジェックでした。
私はここに、このプロジェクトの「本気度」を感じます。
ITベンダーは「システムを入れること」がゴールになりがちです。しかし、エイジェックのようなBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)事業者は、普段から全国の自治体や企業の窓口業務を「人」の手で運営しています。つまり、「現場のどこで市民が怒るのか」「職員がどこでミスをするのか」という、泥臭い現場のリアルを知り尽くしているのです。
AIは魔法の杖ではありません。 「どんな業務フローにAIを組み込めば、人が楽になるか」という設計図がなければ、ただの賢い箱になってしまいます。現場のオペレーションを知る人材会社と組むことで、技術先行ではない「本当に使えるAI窓口」を目指している点が、この事例の非常にユニークなところだと言えるでしょう。
「書かない」「待たない」「迷わない」を実現する体験
では、具体的に私たちの市役所体験はどう変わるのでしょうか? 今回の実証実験で目指されているのは、究極的には「書かない、待たない、迷わない」世界の実現です。
1. スマートナビゲーション(迷わせない案内)
「私の手続き、3番窓口であってますか? それとも5番?」 市役所の案内板は専門用語が多くて、どこに行けばいいのか迷うことがよくあります。
今回の実証実験では、タブレット上のAIコンシェルジュに行きたい課や用件(例:「引っ越してきたんですけど」など)を伝えると、「それなら市民課と児童手当の手続きが必要ですね」といった具合に、横断的な案内をしてくれることが期待されます。
たらい回しにされるストレスが減る。これだけでも、市役所に行く足取りが少し軽くなりそうです。
2. 申請書作成支援(何度も書かせないUX)
これが今回の目玉と言ってもいいでしょう。「書かない窓口」への挑戦です。
従来のフローでは、窓口ごとに申請書を手書きする必要がありました。しかし、生成AIを活用したシステムでは、最初にタブレットで基本情報(氏名・住所・生年月日など)を入力すれば、必要な複数の申請書に自動で情報が転記・反映される仕組みを目指しています。
「何度も同じ住所を書かされる」という苦行からの解放。 これは単なる効率化だけでなく、書き損じによる再提出の手間もなくなるため、結果として待ち時間の劇的な短縮につながります。
3. 多言語対応(言葉の壁を超える)
海老名市に限らず、日本に住む外国籍の方は年々増えています。 窓口業務において「言葉の壁」は大きな課題。専門の通訳スタッフを常駐させるのはコスト的にも人員的にも困難です。
生成AIは、翻訳・通訳が大得意です。 多言語でのスムーズな案内が可能になれば、外国人住民の安心感につながるだけでなく、対応する職員の心理的負担も大きく軽減されるはずです。
生成AI導入の「壁」と、それを乗り越える知恵
「でも、市役所でAIなんて使って大丈夫なの?」 「個人情報が漏れたり、AIが嘘をついたりしない?」
そんな心配をする方も多いと思います。当然の懸念です。企業がDXを進める際にも必ずぶつかる壁ですが、行政となればなおさら慎重さが求められます。
個人情報保護と「ハルシネーション」への対策
生成AIには「ハルシネーション(もっともらしい嘘をつく現象)」というリスクがあります。行政の手続きで「嘘」は許されません。
今回の実証実験の詳細は公表されていませんが、一般的に自治体でAIを導入する場合、以下のような対策が取られるのがスタンダードです。
- RAG(検索拡張生成)技術の活用: AIに自由に喋らせるのではなく、「海老名市の公式マニュアルや条例データベース」だけを参照して回答するように制御する技術です。これにより、根拠のない回答を防ぎます。
- 個人情報のマスキング: AIの学習データに市民の個人情報が取り込まれないよう、入力データを匿名化したり、学習に使わない設定(オプトアウト)の環境下で運用したりします。
また、今回はあくまで「実証実験」です。 いきなりAIに全権を委ねるのではなく、「AIが作成したものを、最終的に職員(人間)が確認する」というハイブリッドな運用から始めるはずです。
職員の仕事は奪われるのか?
「AIが入れば、職員は要らなくなるの?」 いいえ、むしろ逆だと私は考えます。
日本の自治体職員数は、ピーク時に比べて大幅に減っていますが、業務量は増える一方です。もはや「人海戦術」は限界を迎えています。 書類の転記や案内といった「定型業務」をAIに任せることで、職員は「複雑な相談への対応」や「困っている市民へのケア」といった、人間にしかできない温かみのある業務に時間を使えるようになります。
AIは仕事を奪う敵ではなく、過酷な現場を助ける「頼もしい後輩」のような存在になるべきなのです。
自治体・企業がこの事例から学ぶべきDXの「勝ち筋」
この海老名市の事例は、私たち企業の経営企画やDX担当者にとっても、非常に多くの学びを含んでいます。
「スモールスタート」の重要性
海老名市はいきなり「全庁AI化」を掲げたわけではありません。「窓口業務」という、市民との接点であり、かつ課題が明確な場所に絞って実証実験を始めました。 DXで失敗するパターンの多くは、風呂敷を広げすぎて現場が混乱するケースです。まずは特定の痛点(ペインポイント)に絞って効果を検証する姿勢は、企業のDXでも鉄則です。
UX(ユーザー体験)ファーストの視点
技術先行ではなく、「市民がどう感じるか」を出発点にしている点も重要です。 どんなに高機能なAIでも、使い勝手が悪ければ高齢者は使ってくれません。タブレットという馴染みのあるデバイスを使い、対話形式で進めるUI(ユーザーインターフェース)は、デジタルデバイド(情報格差)を埋めるための現実的な解と言えるでしょう。
エピローグ:AIは「温かみのある行政」を作れるか
私は以前、ある自治体の職員さんからこんな話を聞いたことがあります。 「本当はもっと一人ひとりの市民の話を聞いてあげたい。でも、後ろに行列ができていると、どうしても事務的に処理して『次の方どうぞ』と言わざるを得ないのが辛いんです」
切実な叫びだと思いました。 私たちが求めているのは、機械のような冷たい対応ではありません。でも、皮肉なことに、人間が人間らしい対応をするためには、今の業務量は多すぎるのです。
海老名市とエイジェックの実証実験が目指すもの。 それは単なる効率化の数値目標ではないはずです。 AIが面倒な作業を肩代わりすることで、窓口の職員さんが私たちの目を見て「こんにちは、今日はどうされましたか?」と余裕を持って言えるようになる。そんな「人間らしさを取り戻すためのデジタル化」なのではないでしょうか。
この実験が成功し、全国の自治体に「待たない、書かない」窓口が広がる未来を、一市民として心から期待したいと思います。
よくある質問(FAQ)
Q1. このサービスはいつから利用できますか? A1. 海老名市では2024年10月1日から実証実験が開始されています。具体的な設置場所や利用可能な手続きの種類については、海老名市の公式アナウンスをご確認いただくか、現地の案内係の方にお尋ねください。
Q2. 高齢者でも使いこなせるのでしょうか? A2. 今回のシステムは、誰でも直感的に使えるタブレット端末などを活用し、対話形式で進められるよう設計されていると考えられます。また、実証実験中は職員やサポートスタッフが操作を補助する体制が取られることが一般的ですので、デジタル機器に不慣れな方でも安心して利用できるはずです。
Q3. 私の住んでいる地域でも導入されますか? A3. 現時点では海老名市での実証実験ですが、政府も「自治体DX」を強力に推進しています。この実験で「待ち時間短縮」などの明確な成果が出れば、モデルケースとして他自治体へ波及していく可能性は非常に高いでしょう。
