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「我が社も、生成AIを本格的に導入する!」
最近、朝礼や中期経営計画の発表の場で、社長が熱くこう語る場面、増えていませんか?
でも、ちょっと待ってください。 あれほど「DX(デジタルトランスフォーメーション)は難しい」「ウチはアナログな人間関係が強みなんだ」と腰が重かったあの社長が、なぜ今、急にAIなのでしょうか。
その背景には、ChatGPTの登場という技術的なインパクトはもちろんありますが、それだけでは説明がつかない「経営者特有の事情」が隠されています。
実は、その熱弁の裏には、本気の業務改革とは異なる「別の狙い」があるケースが少なくありません。
この記事では、企業の最前線で奮闘する経営企画部、DX推進部、情報システム部、そして人事部の皆さんに向けて、この「AI活用ショー」とも言える現象の実態と、そのトップダウンの号令を「本物の改革」につなげるための現実的で賢い対処法を、現場目線で徹底的に解説します。
急増する「AI語り」経営者。DX苦手だったはずでは?

数年前、あれほど世間を賑わせた「DX」。 多くの現場担当者が「今こそ変革のチャンス」と意気込み、経営陣に稟議を上げ、そして「時期尚早だ」「費用対効果が見えない」と差し戻された苦い経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
では、なぜ「DX」には渋い顔をしていた経営者が、「生成AI」にはこんなにも前のめりなのでしょうか。
DXと生成AI、経営者にとっての「違い」
経営者にとって、この二つは似て非なるものです。
- DX(デジタルトランスフォーメーション): これは「全社的な業務プロセスの根本的変革」を意味します。現場の抵抗、既存システムの改修、長期的な組織文化の変革など、地味で、痛みを伴い、成果が出るまでに時間がかかる「マラソン」のようなイメージです。経営者から見れば、非常に「面倒くさい」プロジェクトでした。
- 生成AI(Generative AI): こちらは「ChatGPT」や特定のAIツールという、具体的で目に見える「モノ」があります。まるで「魔法の杖」を手に入れたかのように、一気に課題が解決できるかのような華やかさがあります。DXが「漢方薬」なら、AIは「特効薬」のように見えているのです。
分かりやすく、すぐに成果が出そう(に見える)AIは、DXで挫折した経営者にとって、非常に魅力的な「飛び道具」なのです。
なぜ今、AI活用をアピールする必要があるのか
答えは単純です。「市場がそれを求めているから」です。
2024年以降、企業のAIへの取り組みは、投資家や市場がその企業の将来性を判断する上で、極めて重要な指標となりました。
ある調査によれば、機関投資家の約7割が、投資判断において企業の「AI戦略」を重視すると回答しています。つまり、経営者が公式の場で「AI」というキーワードを発信しないだけで、「あの会社は遅れている」「将来性がない」というレッテルを貼られかねない状況なのです。
これは、DX推進部や企画部が「社内を変えたい」と願う切実さとは、少し質の異なるプレッシャーです。彼らにとっては、社内改革よりもまず「社外へのアピール」が死活問題となっているのです。
経営者がAI活用を語る本当の狙い、その「アレ」とは?
では、経営者が熱く語る「AI活用」の裏にある、本質的な業務改革とは別の「アレ」の正体とは何でしょうか。 日経クロステックの記事でも指摘されているように、その狙いは大きく分けて3つあります。
狙い①:IR・株価対策(投資家へのアピール)
「アレ」の正体、その筆頭は「株価」です。これこそが最大の動機と言っても過言ではありません。
投資家向けの説明会(IR)や決算発表の場で、「我が社はAIを活用し、これだけの生産性向上を見込んでいます」と社長が発言する。その一言があるかないかで、翌日の株価の反応が文字通り変わるのです。
現場の業務が1ミリも変わっていなくても、「AI導入」というプレスリリースを出すだけで株価が上がるなら、経営者にとってはこれほどコストパフォーマンスの良い「成果」はありません。経営企画部の皆さんなら、この空気感は痛いほどお分かりになるでしょう。
狙い②:PR・採用活動(市場と求職者へのブランディング)
次に強力な動機が「採用」です。
特にZ世代と呼ばれる若い世代の優秀な人材は、「古い体質の会社」「テクノロジーに疎い会社」を極端に嫌います。
「ウチはAI活用に積極的です」 「社員全員がAIを使える環境を整備しています」
こうしたアピールは、採用市場における強力なブランディング(=採用PR)となります。人事部の皆さんは、「AIを導入しないと、良い人材が採れない」というプレッシャーを経営陣からかけられているかもしれませんね。
狙い③:経営者コミュニティでの「焦り」
そして、意外と大きいのがこの人間臭い理由です。
経営者は、他の経営者との「横のつながり」を非常に気にします。 ゴルフや会食の場で、他社の社長が「ウチはAIでこんな成果が出たよ」と自慢している。自分だけがその輪に入れない。「もしかして、ウチだけが取り残されているのではないか?」
この「同業者コミュニティからの脱落」に対する強烈な焦りが、現場の準備状況などお構いなしに「とにかくAIを導入しろ!」という号令につながるのです。
アピール先行型AI活用の「落とし穴」
経営者の事情は分かりました。しかし、この「アピール先行型」のAI導入には、現場にとって非常に大きな「落とし穴」が待っています。
現場不在で進む「AI導入ショー」の実態
「とにかくAI導入のプレスリリースを月内に出せ!」 経営トップからこんな無茶振りが飛んできます。
結果、どうなるか。 コンサルティングファーム主導で、見栄えの良い「AI導入事例」が作られます。しかし、その実態は、現場の誰も使い方を知らない、あるいは既存の業務フローと全く合っていない「張りぼてのシステム」であることも少なくありません。
プレスリリースが出た日がゴール。その後、そのシステムがどうなったか、誰も気にしない…そんな悲劇的な「AI導入ショー」が、あちこちで繰り広げられています。
PoC止まりで終わるプロジェクトの共通点
「PoC(概念実証)貧乏」という言葉を、DX推進部の皆さんは耳にしたことがあるかもしれません。
これは、AIの「お試し導入(PoC)」ばかりを延々と繰り返し、多額の予算と時間を浪費するものの、結局どれも本格的な業務導入(本番実装)には至らない状態を指します。
経営陣は「ウチはこんなに多くのAIプロジェクトを試している」とアピールできますが、現場は「どうせこれも、お試しで終わるんでしょ?」と冷めていき、貴重な予算だけが溶けていきます。
情シス・DX推進部が疲弊する理由
そして、この「アピール先行型」の最大の被害者は、間違いなく現場担当者です。
- 情シス部門: 経営陣の「AI導入しろ」というフワッとした指示に対し、「セキュリティは?」「情報漏洩のリスクは?」「利用ガイドラインは?」と、本来なら導入前に検討すべき課題の対応に追われます。現場の利便性と会社のリスク管理の板挟みになり、疲弊していきます。
- DX推進部・企画部: 「成果の出ないPoC」の後始末や、「経営者がアピールするための資料作成」に奔走させられます。本来やるべきだったはずの、地道な業務プロセスの改善は後回しにされ、「何のためにこの部署にいるんだ…」とモチベーションを失いかねません。
経営者の「AI号令」を本物の改革につなげる現場の戦術
では、私たちはどうすればいいのでしょうか? 経営者の「AI活用ショー」を「くだらない」と切り捨て、抵抗するだけでは何も生まれません。
賢い現場担当者は、その「ショー」を逆手に取り、本物の改革につなげる「したたかさ」を持っています。
ステップ1:経営者の「狙い」を正確に把握する
まずは敵を知ること。いや、味方であるはずの経営者が、今何を求めているのかを正確に把握します。
- 「株価(IR)」が目的なのか?
- 「採用(PR)」が目的なのか?
- 「他社への対抗意識」なのか?
ここを見誤ると、あなたの努力はすべて無駄になります。 もし経営者の狙いが「採用」なら、「業務効率化」の事例より「若手社員のクリエイティブなAI活用事例」の方が響く、といった具合です。
ステップ2:「小さく、早く、安く」現場の課題を解決する
大きな改革プロジェクトを立ち上げてはいけません。それはDXの失敗と同じ轍を踏みます。
狙うべきは、「小さく (Small)」「早く (Quick)」「安く (Cheap)」解決できる、身近な課題です。
- 人事部: 採用サイトに掲載する「よくある質問」の回答文案をAIで作成する。
- 情シス: 社内からの簡単なPC操作に関する問い合わせに、AIチャットボットで自動応答する。
- 企画部: IR資料の「市場動向」の草案をAIに要約させる。
誰の目にも明らかな「ビフォー・アフター」が示せる小さな成功(Small Win)を積み重ねるのです。
ステップ3:現場の成功を「経営者の成果」として報告する
これが最も重要です。 現場で得られた「小さな成功」を、そのまま報告してはいけません。
必ず、「経営者の“狙い”」に結びつけて翻訳し、「経営者の成果」として報告するのです。
【悪い報告例】 「AIチャットボットを導入し、情シスへの問い合わせ対応工数を月20時間削減できました」 → 経営者「ふーん、それで?」
【賢い報告例】 「社長のAI号令のおかげで、情シス部門の問い合わせ対応を自動化できました。結果、情シスのメンバーは月20時間分の余裕ができ、その時間を社長が懸念されていた新システムのセキュリティ強化に充てることが可能になりました」
【賢い報告例(採用狙いの社長へ)】 「社長のAI方針に基づき、人事部でAI活用を開始しました。結果、採用サイトのFAQ作成時間が80%削減され、その分、優秀な学生との面談時間を増やすことができました。これは採用ブランディングにも大きく貢献します」
経営者の「ショー」を否定せず、むしろその「ショー」の「素晴らしい成果」として小さな事実を献上する。これにより、経営者はアピール材料を手に入れて満足し、現場は次の改革のための「実績」と「信頼」を手に入れることができます。
よくある質問(FAQ)
最後に、現場の皆さんが抱えがちな疑問にお答えします。
Q1. 経営トップがAI導入を急いでいます。何から始めるべき?
A1. まずは「守り(セキュリティガイドライン)」の策定です。
経営陣が「攻め(導入)」を急ぐ時こそ、現場は冷静に「守り」を固めるべきです。 情シス部門とすぐに連携し、「何をしてはいけないか(例:顧客情報、機密情報の入力禁止)」「安全に使うためのルール」を最低限でも決めましょう。
ルールがないまま導入すると、必ず事故が起きます。その時、責任を取らされるのは現場です。「安全に活用するために、まずルールを決めさせてください」と進言することは、経営者にとっても合理的な提案のはずです。
Q2. アピール目的のAI導入でも、現場にメリットはありますか?
A2. あります。最大のメリットは「お墨付き」と「予算」が出るチャンスであることです。
「AI」というキーワードは、今や魔法の言葉です。「AIを活用するため」という枕詞をつければ、これまで通らなかった稟議や予算が、驚くほどあっさり通ることがあります。
この機を逃さず、現場が本当に欲しかったツールの試験導入や、古い業務プロセスの見直しを「AI活用のための準備」として進めてしまいましょう。
Q3. DX推進部として、経営陣にどう進言すれば良いですか?
A3. 「AIに食べさせる『データ』と『業務プロセス』を先に整理させてください」と進言しましょう。
経営者はAIを「魔法の杖」だと思っていますが、現実は違います。AIは「学習データ」が命です。
「ゴミ(古い業務プロセスや汚いデータ)をAIに食べさせても、ゴミ(使えない成果)しか出てきません。最高のAIを導入するために、まずは社内のデータを整理し、非効率な業務プロセスを棚卸しさせてください」
これは、DX推進部が本来やるべきだった「業務改革」そのものです。AIを口実に、本質的なDXを進める絶好のチャンスです。
まとめ:経営者の「ショー」を、「本気」に変えるのは現場のあなた
「DXオンチ」だった経営者がAIを語りだす時、その狙いは「株価」「採用」「世間体」といった、現場の感覚とは少しズレた場所にあるかもしれません。
その「アピール先行」の号令に振り回され、疲弊するのは簡単です。
しかし、賢い現場は、その「ショー」を冷めた目で見るだけではありません。 経営者のアピール欲求をうまく利用し、それを「予算」と「大義名分」に変換し、現場が本当に必要としていた「小さな改革」を始めるのです。
経営者が始めた「ショー」を、本物の「改革」という舞台に昇華させられるかどうか。 それは、この記事を読んでいる企画部、DX推進部、情シス、人事、そして現場の皆さん一人ひとりの「したたかな戦術」にかかっています。
