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| 効率化できる業務 |
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「5分で読めます。自社のAI導入担当者は、ぜひ最後までお付き合いください」
2023年、「ChatGPT」の登場は、世界に衝撃を与えました。それは出版・編集という「言葉」を扱う業界にとっても、例外ではありません。
「AIに仕事が奪われるのではないか?」 「AIが書いた“AIっぽい”無機質な文章が溢れるのではないか?」
企業のDX推進部や経営企画室でも、「自社のクリエイティブ部門に、どうAIを導入すべきか?」と悩んでいる方も多いのではないでしょうか。
この記事では、総合出版社KADOKAWAが立ち上げた「出版事業グループAI研究会」のリアルな取り組みを紐解きながら、これからの時代に編集者、ひいてはクリエイティブな仕事に携わるすべての人々が、生成AIとどう向き合っていくべきか、そのヒントを探ります。
「生成AIは敵か、味方か?」 出版業界を揺るGptショックと編集者の葛藤

AIが"相棒"になる日
「AIが小説を書き、AIがイラストを描く」 そんなSFのような未来が、突如として現実になりました。
特に編集者という職業は、企画を立て、著者と伴走し、言葉を磨き上げる仕事です。その根幹がAIに代替されるかもしれないという現実は、「GPTショック」とも呼べるほどの不安を業界にもたらしました。
「自分の仕事は、本当になくなってしまうのか…?」
しかし、歴史を振り返れば、私たちは常に新しいテクノロジーと対峙し、それを乗り越えてきました。活版印刷、DTP(デスクトップパブリッシング)、そしてインターネット。そのたびに、編集者の役割は変化し、進化してきたのです。
生成AIもまた、その延長線上にある「強力すぎるツール」なのかもしれません。
迫りくる「AI失業」のリアルな不安
とはいえ、現場の不安は深刻です。 AIは、リサーチ、要約、翻訳、さらには文章のドラフト作成まで、これまで編集者が時間をかけて行ってきた作業を、驚異的な速度でこなします。
- 市場調査レポートの要約
- インタビュー音声の文字起こしと要点整理
- SNS投稿文の大量生成
- 基本的な校正・校閲作業
これらの業務がAIに置き換わった時、「自分」に残る仕事は何か。その不安は、出版業界に限らず、あらゆる企業の企画部、マーケティング部、人事部が共通して抱える課題でしょう。
効率化の名の下に、人間の「考える時間」や「創造性」までが奪われてしまうのではないか。そんなジレンマが、AI導入のブレーキになっているケースも少なくないのです。
なぜ今、KADOKAWAは「AI研究会」を立ち上げたのか?
こうした大きなうねりの中で、KADOKAWAは迅速に動きました。2023年春、「出版事業グループAI研究会」を発足させたのです。
その目的は、AIを「脅威」として恐れるのではなく、まず「正しく知る」こと。 そして、「出版事業の未来のために、どう活用できるか?」を模索することにありました。
この研究会は、特定の部署だけのものではありません。文芸、コミック、ライトノベル、教育、デジタル事業など、多様なジャンルの編集者や担当者が手弁当で集まりました。
彼らが目指したのは、評論家的にAIを語ることではありません。あくまで「現場の編集者が、現場でどう使うか」という、実践的な知見を蓄積することだったのです。
企業のDX推進部がAI導入を検討する際、トップダウンでツールを導入するだけでは、現場は動きません。KADOKAWAのこの動きは、現場の不安を受け止め、ボトムアップで活用法を探る「伴走型」の組織づくりの好例と言えるでしょう。
生成AIは「わからない」から怖い。KADOKAWA AI研究会のリアルな活動とは
人間が最も恐れるのは、「よくわからないもの」です。AI研究会が最初に取り組んだのは、まさにその「わからない」を解消することでした。
活動の原点:「まずは使ってみる」という泥臭いアプローチ
研究会の活動は、実に泥臭いものです。 高尚なAI理論を学ぶのではなく、まずは「GPT-4」や「Stable Diffusion」などのツールを、自分たちの日常業務でとことん使い倒してみる。そこから始まりました。
- 企画の壁打ち:「“30代男性、転職に悩む人”に響く自己啓発書のタイトル案を100個出して」
- キャラクター設定:「このライトノベルの主人公のライバルとして、魅力的な悪役の設定を考えて」
- 帯(オビ)のコピー作成:「この小説の感動を伝えるキャッチコピーを、ターゲット別に5パターン作って」
こうした試行錯誤をSlack上で共有し、「このプロンプト(指示文)はうまくいった」「この使い方は失敗した」という生々しいナレッジを、組織全体で蓄積していったのです。
編集、校正、マーケティング… 具体的な活用ユースケースの模索
AI研究会では、編集工程を分解し、どの部分でAIが活用できるかを徹底的に洗い出しました。
- 企画立案フェーズ
- トレンドリサーチや競合分析の高速化
- 企画書のたたき台作成
- 読者ターゲットのペルソナ設定の補助
- 制作フェーズ
- インタビュー記事の構成案作成
- 専門用語の簡易的なファクトチェック
- 海外文献のリサーチと翻訳
- 宣伝・マーケティングフェーズ
- プレスリリースのドラフト作成
- X(旧Twitter)やInstagram用の投稿文のバリエーション生成
- 広告用LP(ランディングページ)のキャッチコピー案作成
重要なのは、AIに「完成品」を求めなかった点です。あくまで「たたき台」や「壁打ち相手」として活用することで、編集者の思考を加速させる「ブースター」として位置づけました。
AI研究会が直面した「3つの壁」とは?
もちろん、導入は順風満帆ではありませんでした。研究会は、多くの企業が直面するであろう「3つの壁」にぶつかったと報告しています。
- 「時間がかかる」の壁:AIを使いこなすには、AIの「クセ」を理解し、的確な指示(プロンプト)を出すスキルが必要です。最初は、自分で考えた方が早いと感じることも多かったのです。
- 「イメージ通りにならない」の壁:特に画像生成AIでは、「こういう雰囲気の表紙イラストが欲しい」と指示しても、出てくるのはどこかチグハグなものばかり。人間の持つ繊細なニュアンスを伝えることの難しさに直面しました。
- 「リスクが怖い」の壁:「AIが生成したこの文章、誰かの著作権を侵害していないか?」「この情報は本当に正しいのか?」—。ハルシネーション(AIの嘘)や法的リスクへの懸念が、積極的な活用をためらわせる要因となりました。
これらの壁は、AI導入を推進する上で必ず発生するものです。KADOKAWAの研究会は、これらを「失敗」と捉えず、一つ一つ言語化し、ガイドライン策定のための貴重なデータとして蓄積しました。
AIは「効率化」のツールか、「創造性」のパートナーか?
AI研究会の活動は、次第に「ツールの使い方」から、「編集者の本質的な価値とは何か」という哲学的な問いへと深まっていきます。
“AIっぽい”文章をどう超えるか? 編集者の介在価値
AIが生成する文章は、論理的で、そつがなく、非常に「無難」です。しかし、そこには決定的に欠けているものがあります。
それは、「読者の心を揺さぶる、生々しい熱量」です。
AIは、過去の膨大なデータを学習し、「それらしい」文章を生成することは得意です。しかし、AIには「悔しい」とか「涙が出るほど嬉しい」といった実体験(Experience)がありません。
だからこそ、AIが書いた“AIっぽい”文章を、読者の胸に突き刺さる「作品」へと昇華させる編集者の「目利き」と「熱量」が、より一層重要になるのです。AIが80点のドラフトを書いてきても、それを120点にする最後の20点は、人間の編集者にしか生み出せません。
効率化の先に見えた「新しい企画」を生み出すヒント
AIによってリサーチや要約作業が効率化されると、編集者は何を得るのでしょうか? それは、「時間」です。
これまで雑務に追われていた時間を、AIが肩代わりしてくれる。その結果、編集者は本来最も注力すべきだった業務にリソースを割けるようになります。
- 新しい著者の才能を発掘するために、街に出る時間。
- 著者の悩みにとことん寄り添い、企画を深掘りする時間。
- 「本当にこれが読者のためになるのか?」と、問い直す時間。
AIは編集者を「作業者」から解放し、本来の「創造者」へと回帰させる可能性を秘めているのです。KADOKAWAの研究会では、AIを活用して生まれた時間を、新しいIP(知的財産)創出のためのブレストに充てるなど、ポジティブな循環が生まれ始めています。
リスク管理は誰の仕事? 著作権・倫理問題への向き合い方
一方で、リスク管理は避けて通れません。 KADOKAWAでは、AI研究会と法務部・知財部が連携し、AI利用に関するガイドラインの策定を進めました。
- 著作権: AIの生成物が既存の著作物に酷似していないか、人間の目で必ず確認する。
- ファクトチェック: AIが提示した情報(特に統計や固有名詞)は、必ず一次情報にあたり、裏付けを取る。
- 透明性: AIを大々的に使用した場合は、読者に対してその旨を明記することを検討する。
重要なのは、AIを「ブラックボックス」にしないことです。現場の編集者が「これは大丈夫か?」と不安に思った時に、すぐに相談できる体制を社内に構築すること。これが、DX推進とリスク管理を両立させる鍵となります。
未来予測:AI時代の「売れる編集者」に残されるスキルとは
KADOKAWAの取り組みは、私たちに「AI時代に本当に価値を持つスキルは何か」を問いかけます。
「問いを立てる力」こそが最強のスキルになる
AIは、与えられた「問い」に答えるのは得意です。しかし、AIは自ら「何を問うべきか?」を発見することはできません。
- 「なぜ今、読者はこの情報に飢えているのか?」
- 「この著者の才能が、社会のどの“不”を解決できるのか?」
- 「常識とされているこの情報を、あえて疑う視点はないか?」
こうした、世の中の空気や人間の本質を突く「鋭い問い(イシュー)」を立てる力こそ、AI時代に編集者(そして全てのビジネスパーソン)に残される、最も重要なスキルとなるでしょう。
AIが「検索エンジン」から「回答エンジン」に進化した今、人間の価値は「答えを出すこと」から「問いを立てること」へシフトしているのです。
AIを「育てる」編集者 vs AIに「使われる」編集者
これからの編集者は、二極化するかもしれません。
一方は、AIの指示通りに動く「オペレーター」となり、AIに「使われる」編集者。 もう一方は、AIに的確な指示を与え、AIの生成物をジャッジし、AIを自分のアシスタントとして「育てる」編集者です。
KADOKAWA AI研究会の取り組みは、全社的に後者(AIを育てる編集者)を育成しようとする試みです。AIを使いこなし、効率化によって生み出した時間で、人間にしかできない「問いを立てる」仕事に集中する。それが未来の編集者の姿なのです。
企業が今すぐ始めるべき「AI共存」のための組織づくり
KADOKAWAの事例から、企業の経営企画部やDX推進部が学ぶべきことは何でしょうか。
- 「恐れる」より「触る」文化を作る: AIのリスクを議論する前に、まず現場が自由にAIに触れられる環境(サンドボックス)を提供する。
- 「現場主導」の研究会を立ち上げる: トップダウンのツール導入ではなく、現場の課題感からボトムアップで活用法を模索する「AI研究会」を部署横断で立ち上げる。
- 「失敗」をナレッジとして共有する: うまくいかなかった事例こそが、ガイドライン策定や次の成功のための財産であると定義し、失敗を奨励・共有する文化を醸成する。
- 法務・知財部門を「パートナー」にする: リスク管理部門を「ブレーキ役」ではなく、現場がアクセルを踏むための「伴走者」として、早期から巻き込む。
まとめ:AIは「脅威」ではなく「鏡」。編集者の本質を映し出す
KADOKAWAの「出版事業グループAI研究会」の取り組みは、生成AIとの向き合い方について、一つの答えを示しています。
AIは「脅威」でも「魔法の杖」でもありません。 AIは、私たちの仕事を映し出す「鏡」のような存在なのです。
AIに代替されてしまう仕事は、これまで私たちが「思考停止」して行っていたルーティンワークではなかったか。 AIが生成した“AIっぽい”文章に違和感を覚える時、私たちが本当に大切にしたい「人間らしさ」とは何かに気づかされる。
編集者も、企業も、AIという鏡に映った自分たちの姿と向き合い、「私たち人間にしかできない価値は何か?」を問い直すことが求められています。
KADOKAWAの模索は、まだ始まったばかりです。しかし、その「まず使ってみる」という一歩こそが、AIに「使われる」未来ではなく、AIを「使いこなす」未来を切り拓く、最も確実な方法なのかもしれません。
