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朝、新聞を取りに玄関を開けたとき、あるいは愛犬との散歩中、目の前に真っ黒な塊が現れたら──。想像するだけで背筋が凍りませんか?
これまで「山奥の話」だと思われていたクマの出没が、今、私たちの生活圏で日常的に起き始めています。ニュースで連日報道される「アーバン・ベア(都市型クマ)」の問題。これは単なる自然現象ではなく、過疎化や里山の荒廃が生んだ、現代社会特有の構造的な課題です。
今回取り上げるのは、2023年度にツキノワグマの目撃件数が「過去最多」を記録してしまった三重県の事例です。しかし、これは悲観的なだけのニュースではありません。人間が後退してしまった「獣との境界線」を、AI(人工知能)という新たなテクノロジーで引き直そうとする、希望のプロジェクトなのです。
企業のDX推進や情シス部門にいる皆さんにとって、この事例は単なる「動物ニュース」ではないはずです。画像認識、エッジコンピューティング、そしてIoTによる物理アクションへの接続。まさに「社会課題解決型DX」の最前線がここにあります。
なぜ三重県はAIに頼る決断をしたのか? そして、そのシステムは本当に私たちの命を守れるのか? その全貌に迫ります。
なぜ今、AIなのか? 三重県が直面する「限界」

過去最多の衝撃データ
まず、現状の深刻さを共有させてください。三重県では、令和5年度(2023年度)のツキノワグマの目撃件数が216件に達しました。これは記録が残る中で過去最多の数字です。
これまでクマの出没が少なかった地域でも目撃例が相次いでおり、もはや「今まで出なかったから大丈夫」という経験則は通用しません。山の実り(ドングリなど)が凶作だった年だけ出没するのではなく、恒常的に人里へ降りてきている可能性が指摘されています。
人力対策の限界と疲弊
従来、こうした対策は誰が担っていたかご存知でしょうか? 多くは、地元の猟友会の方々や役場の職員です。しかし、彼らも高齢化や人員不足に悩まされています。
- 24時間の監視は不可能:いつ来るかわからない相手を人間がずっと見張ることはできません。
- 危険との隣り合わせ:追い払うために人が現場へ向かうこと自体が、遭遇リスクを高めます。
- 曖昧な識別:赤外線センサーだけでは、タヌキや野良猫、あるいは風で揺れる草木にも反応してしまい、「オオカミ少年」状態になりかねません。
「人が足りないなら、テクノロジーに任せればいい」。この発想の転換こそが、今回の実験の核となります。
実験の全貌:AIは「眼」となり「盾」となるか
三重県が乗り出す実証実験は、単に「クマを撮影する」だけのものではありません。「検知」から「追い払い」までを無人で完結させる点に大きな特徴があります。
システムの仕組み:Edge AIの真骨頂
具体的にどのようなフローで動くのか、技術的な視点で分解してみましょう。
- 常時監視(モニタリング) クマが出没しそうな山林の境界付近に、AIチップを搭載したカメラを設置します。
- エッジでの即時推論(検知) ここがポイントです。撮影した映像をクラウドに送って解析していては、タイムラグが生じます。クマはその数秒の間に移動してしまうからです。そのため、カメラ内部(エッジ)で「これはクマか? イノシシか? 人間か?」を瞬時に判別します。
- 物理アクション(追い払い) AIが「クマである」と確信した瞬間、連動した装置が作動します。
- 強烈な光(フラッシュライト)
- 大音量のサイレン音 これらを用いて、クマに「ここは怖い場所だ」と学習させ、山へ追い返します。
- 人間への通知 同時に、自治体の担当者や登録された住民へメールやアプリで通知を飛ばします。「今、あそこで追い払った」という情報がリアルタイムで共有されるのです。
なぜ「追い払い」が重要なのか
単に「出ました」という通知だけでは、DXとしては片手落ちです。なぜなら、通知が来た頃にはクマはすでに集落に入り込んでいるかもしれないからです。 「人里に入らせない」という水際対策を自動化すること。これこそが、住民が安心して眠るために不可欠な要素なのです。
企業のDX担当者が注目すべき「実装のポイント」
このニュースを、皆さんのビジネスや業務に置き換えて考えてみてください。ここには、あらゆる現場DXに通じるヒントが隠されています。
「誤検知」との戦い
画像認識AI導入で最も現場が嫌がるのが「誤検知(False Positive)」です。 「クマが出た!」と深夜にサイレンが鳴り響き、飛び起きてみたら野良犬だった──。これが続けば、住民はシステムを切ってしまいます。 今回の実験でも、黒い服を着た人間や、カモシカ、大型の犬をどう除外するか。学習データの「質」と、閾値(しきいち)の調整が、成否を分けることになるでしょう。泥臭いチューニング作業こそが、実はDXの主戦場なのです。
インフラなき場所での稼働
クマが出る場所には、光回線もなければ、安定した電源もないことがほとんどです。
- 通信:LPWA(省電力広域無線技術)やLTE回線の活用
- 電源:ソーラーパネルとバッテリーの独立電源運用 こうした「過酷な環境下でのIoT運用」のノウハウは、建設現場や農業DX、災害対策にもそのまま転用できる貴重な知見です。
未来予測:獣害対策DXは巨大市場になる?
正直なところ、これまで野生動物対策は「儲からない」分野だと思われてきました。しかし、状況は変わりつつあります。
テクノロジーの総力戦へ
カメラだけでなく、今後は以下のような技術との融合が進むでしょう。
- ドローン追跡:検知と同時にドローンが発進し、クマの逃走ルートを追跡・撮影する。
- 行動予測AI:過去の出没データと気象条件、地形データを組み合わせ、「今夜、このルートで降りてくる確率80%」と予測する。
- バーチャルフェンス:物理的な柵ではなく、動物が嫌がる超音波や光でエリアを囲う。
企業にとってのチャンス
三重県の実験は、あくまでスタートラインです。日本全国、いや世界中で人間と野生動物の摩擦は増えています。 「高精度な屋外用画像認識」「メンテナンスフリーなセンサー」「動物行動学に基づいた忌避デバイス」。これらをパッケージ化できれば、自治体向けのBtoGビジネスとして大きなポテンシャルを秘めています。 あなたの会社の技術が、もしかしたら「誰かの命」を救うキーパーツになるかもしれません。
まとめ:AIと共存する、新しい里山の形
三重県のAIクマ対策実験は、単なる「害獣駆除」の話ではありません。それは、人口減少によって維持できなくなった人間社会の防衛ラインを、テクノロジーが代替できるかという、壮大な社会実験でもあります。
AIは冷徹な機械ですが、その使い道を決めるのは私たちの「意思」です。「駆除して終わり」ではなく、クマには山で、人間は里で、互いに不幸にならずに暮らすための「境界線」をAIに守ってもらう。そんな温かみのあるDXの形が、ここにはあります。
【Next Action:あなたの現場でできること】
- 技術の転用を考える: 自社の工場やオフィスで使っている「監視カメラ」や「入退室管理システム」。その画像認識技術を、屋外や安全管理に応用できませんか?
- 三重県の動向を追う: この実験結果は、今後の日本の獣害対策のスタンダードになる可能性があります。北中部で行われる実証実験のニュースを、ぜひ継続してチェックしてみてください。
恐怖をただ恐れるのではなく、知恵と技術で立ち向かう。三重県の挑戦に、今後も注目していきましょう。
